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マイペース70代

マイペース70代

Mとの思い出

長崎県の小学生の事件については、
心の中に色々なことが渦巻くのだけれど、
直接この事件について書く気になれない。
しかし、この事件で自分の中学生の頃からの友人について思い出しているので、
それについて書こうと思う。

Mとは、中学一年生からの付き合いである。
当時の私は、おとなしくて自己主張はできないけれど、
その分人に逆らうことが出来ず、言われたことを一所懸命こなしている、
いわゆる「良い子」だった。
成績もまあまあだったせいか、私は自分の意志に関わらず、
小学生の頃から何かの委員を押し付けられるようになっていた。
ただし、先にも書いたように
自己主張するリーダータイプではなかったので、
「副委員」とか「書記」のような係がほとんどだった。
Mとは、中学一年生のときにクラスは違ったのだが
「○○委員会」で出会った。
彼女は自己主張ができる「姉御タイプ」で、
そこそこ美人で成績も良く、私とは正反対の女の子だった。
正義感も強く、納得できなければ男子にも遠慮なく食ってかかるところがあり、
私はそんな彼女に多少憧れてもいた。
(ケンカをしながらも、結構男子には人気があったと思う)

中学二年の時のクラス編成で、私と彼女は同じクラスになった。
彼女もまた、自分とは正反対の「おとなしく女性的(に見える)」私に
興味を抱いていたようで、
同級生になってからは私に積極的に話しかけるようになった。
その頃気付いたのだが、
彼女はそれまで私が想像していたような人望のあるリーダーだったわけではなく、
そのハッキリしすぎる性格の為か、彼女を嫌っている人もいるようだった。
私自身は、「自分には親友がいない」と悩み始めた頃で、
彼女が親しくしてくれることは嬉しくもあった。
つまり、心のどこかに「孤独感」を抱えた者同士が
友達の形をとり始めたということだ。

当時の私の「親友」の定義は、
「自分の悩みも話し合える友」だったと思うが、
私はみんなに嫌われているとまでは思わなかったけれど、
好かれているとの確証も感じられず、
ましてや「悩みを話せる友」は一人もいなかった。
Mが、「あなたは私の親友だよ」と言ってくれても、
私は曖昧に頷くのが精一杯で、
彼女に対する戸惑いを口にすることもできなかった。

しかし、いつの間にか私とMは「仲良し」と思われるようになり、
正直なところ「困ったな」とも思うようになった。
というのは、それまで親しく声をかけてくれていたクラスメートも、
Mと一緒の私に少し距離を置くようになっていたからだ。
それでも、彼女がクラスのリーダーであることには間違いがなく、
「○○委員」としての彼女はとても生き生きとしていた。
私はそんな彼女の補助的役割をまじめにやっていたつもりだが、
自己主張のない優柔不断な私が、
彼女のイライラの種になることも多かった。
(私は自己主張はできなかったが、何も感じていなかったわけではない)


ある日、彼女はやはり私の態度にイライラしたらしく、
結構きつい言葉を私に言い、
自分の味方であることを確認するように言った。
「あんたは私の友達でしょ?」
私は私なりに、彼女の言動にそれまで随分我慢していたので、
とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「私は、あなただけの友達じゃない」

私の言葉は、想像以上に彼女の心を傷つけたようだ。
(当時の私は、「傷つけた」とは思わなかったが)
そして、返す刀のような言葉を私に投げつけた。
「何言ってるの。あんたと友達なのは、私くらいなものだよ。
 自分がみんなに嫌われていることわかってないでしょ」
その言葉は、私を谷底に突き落とし、
そこから這い上がるためにそれからの日々は地獄となったのだ。
(これは単なる売り言葉に買い言葉の範疇で、
 彼女が特別に意地悪な人では絶対にない)

「私はみんなに嫌われている」
不思議なことに、
彼女のその言葉を私は丸ごと信じて受け止めてしまったのだ。
自分に「親友」と言える友がいないこと、
何となく浮いている感じがしていたこと、
・・全てが嫌われていたせいだと思えた。
それからの私は、Mを恐れ嫌いながらも、
彼女の「友達だよ」という言葉にしがみつかざるを得なかったのだ。

当時の私の心境を笑う人もいるだろう。
誰かにちょっと聞いてみたら解決したのにと、私だって思う。
でも、私にはそれができなかった。
そして、闇の中を毎日もがき続けていた。
それからの中学生活が、どんなに辛い日々だったか・・。
だから私は、不登校になる子どもの気持ちが少しはわかる。
ひきこもる人の気持ちも、場合によっては理解できるのだ。

私は、表面上は彼女と友達のまま中学を卒業した。
皮肉なことに同じ高校に進学したが、
彼女は途中で転校して本州に引っ越した。
その頃には、私も多少立ち直って
冷静に彼女や自分も見られるようになり、
彼女の転校で縁が切れると(Mには申し訳ないが)内心では喜んだ。
しかし結局、彼女との縁は切れなかったのだ。

つまり、私とは多少種類は違うが、
「孤独を抱えたM」が気になって仕方がない部分もあったのだ。
細々とした文通で私達は繋がり続け、
色々なことがあったけれど、結局今でも付き合い続けている。
私はいまだに、中学時代に彼女の言葉でどれほど傷つき、
どれほど悩んだことかを話してはいない。
それは、きっと私の言葉や存在が、
彼女を傷つけていたであろうと想像できるからだ。
大切なことは、
そのような時間を共に歩み、
時には憎悪で身が震えるようなことがあっても、
そのことによって自分を見詰めることになり、
自分の成長の道しるべになってくれたことだと思うのだ。
(彼女までとは言わないが、自己主張ができるようになりたいと痛切に願って努力した結果が今の私である)

40代の頃に会った時、彼女は言った。
「あの頃(中学時代)は、あんたが羨ましくてしょうがなかった」
素直な彼女の言葉を初めて聞いたような気がした。
しかし当時の私は、彼女のそんな気持ちなど露ほどもわからなかった。
そして今でも、彼女が「羨ましい」ということが、
私にはピンと来ないままだ。
妬みながらも
「あんたは私の友達だからね」と念を押さずにいられなかったMが、
今の私は本当にいじらしいと思う。
そして私も、本当にいじらしい中学生だった。

今でも、同級生の中には私達がずっと付き合い続けていることを
不思議だという人がいる。
でも私は心から、「彼女がいたから私も成長できた」と思うし、
心の底の全部を打ち明けあう関係ではなくても、
「かけがえのない友達」と言い切ることが出来る。

(2004年06月05日)


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